ドギーバッグの原点

最近各種報道で話題にされることの多い
食べ残しお持ち帰り用袋である“ドギーバッグ

アメリカなどでは極めて普通に市民権を得ているとのことで
これが『』の文化に基づく日本に根付くかどうか
といったあたりが論点になっているようですが
実はこの形式の本家本元は実はニッポンではないか?と私は思っています。

お茶事の懐石では
亭主が丹精込めて作った料理は残さず頂くのが原則で
万が一苦手なものがあったり満腹になって食べきれなくなった時には
懐紙”に包んで持ち帰り、お皿には何も残さないことが礼儀とされております。

私の存じ上げている高名な或る先生にとっては
高齢で食も細くおなりになっていらっしゃるので
温石を懐に入れて飢えをしのぐ程度の量という元意をもつ懐石すらも
量が多分に多過ぎるようです。

汁気を含んだようなものは懐紙に包むと漏れ滲みる危険性もありますので
その先生は外側が丈夫な和紙で中が竹皮?コーティング紙?で出来た
繰返し利用できる折畳める小袋をお持ちになります。

深くお伺いしたことはないのですが
米国史と茶道の歴史の年月差や
精神の継続性の高い茶道の系譜から鑑みると
おそらくこの先生のような小物をご準備されていた茶人は
より古からいらしたのではないかと推察しております。

よもやそうでなくても
“懐紙”にて持ち帰ることは
主旨は多少違えども歴とした証拠と実績がございますし
とどのつまり“ドギーバッグ”は逆輸入的な感覚なのであります。

ただ往時と時代背景が大きく異なるのは
『食品衛生管理』の責任所在の移行時期に関する部分。

自己責任が当たり前だった頃と比べて
賞味期限、消費期限、そして持ち帰りを許容したか否かで管理責任が問われる。。。。
なんて時代になりますと
持ち帰りが恥ずかしいか否か、食物資源に対してどう向き合うのか
ということよりも
提供者(飲食店)側が快くお持ち帰りを許容できる
環境や雰囲気やケアが容認されるか否か
というのが一番の争点になるような気がします。


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