昨日朝9時にウチを出て一路北へ。
外気温は2度。
以前乳がん検診でお邪魔した富山市のクリニックさんへ
再度の検診に加え、子宮がん検診もするために。
デザイナーズホテルを思わせる館内の室礼は
病院という、ある種ネガティブなイメージを転覆するに十分で
完全予約制ということもあり
全く待たずに診察を受けられるあたりも
先生のお人柄や検査機器の質とともに
片道一時間以上をかけさせるだけの“バリュー”を高めてくれます。
何故だか私のかかりつけ医院は全て富山の病院。
二人の娘を出産したクリニックも
レーシックで視力回復手術をしていただいた病院も
そして今回の一連の婦人科の医院も。
そしてもう一つ。
富山までおとなう理由は。。。。。『お魚天国!』
今回は地元の名士の方に
『富山一』とご推薦いただいた鮨人(すしじん)さんへ初見参。
賑わう駅中心部から車で離れること約10分。
端正な一軒屋にかけてある控えめな看板は
そこを探すべく看視しなければ見損なうこと間違いなし。
車外に降り立つ時、気温は夏日の27度。
富山に行けば必ず鮮魚、お鮨と決めているからには
新鮮なネタだけでは驚くつもりもありませんでしたが
何事もそうであるように
ともすると最大の特長は時として弱点にもなり得ます。
ややもするとボリュームと鮮度の力技でグイグイ押されるのが心地よく
気がつくと富山で“鮨”というと
それが自分の中での『王道』であり『常道』になっていたきらいがありました。
そして昨日は、その内なる常識を喝破されたお昼のひとときでありました。
鮨人さんでは
余りある幸を供出する富山湾各地の良質の素材は言うに及ばず
それらの状態を見極め、最もよいコンディションへと高めてくれる
繊細で慈愛に満ちた手仕事が楚々として加えられるのです。
聞けばご主人は根っからの“越中さ(えっちゅうさ=富山人)”ですが
上京してお勤めををされていた頃
趣味の鮨食べ歩きが高じて30歳過ぎに脱サラ。
帰郷し、自らのお客としての感性と価値観だけで一度開店をされたとか。
しかしながら●●系という修業もしていない身での第一歩は
苦く辛いものだったらしく
一度店じまいを余儀なくされ、その後再起して現在に至られたとのこと。
例えが不適切かもしれませんが
『地盤・看板・かばん』
がまだまだものを言う地方で
独学で自分の出したいものにとことん拘ってストイックにやる
ということは想像以上に難しいものです。
実際
「一度店を閉めた時には精神的にも尋常ではなく追い詰められていた」
とカラッと回顧などもされておりました。
そんな会話の一節に
「富山は医療の進んだ地域だ」ということも伺い
前述のご縁も合点がゆくものとなりました。
人は『権威』や『マニュアル』『伝統』の庇護の下にあると
どこかで安心できたり、うまく行かなかったときの言い訳にしてしまいがちです。
ここのご主人は敢えてその安易な方法に身を委ねずに
自らの五感だけを頼りにやってこられた。
また、そうやるだけ、やれるだけの
学びと実践を物凄くされていらっしゃることも感じることが出来ました。
鮨“人”が皆様に認められて鮨“仁”となり
そして一生をかけて鮨“神”の域を目指し
努力をし続けたいという目標と意志を掲げておられる
同年代と思しきご主人を見習って
安閑としがちな精神構造に、少しは渇を入れてみたいと思います。
そしてこんな素敵なお店をご紹介くださった
越中の大先輩にも感謝致します。
今回はレーシックの術後一年検診を(作為的に)サボってしまったので
来月あたりにまたお邪魔しなくては。。。。