供養のこころ

人はそれぞれ
いろいろな出会いがあり、そして別れがあります。

いくつかの節目の中で
その時々を彩る想い出深い方々の『法要』を営むことは
飛騨の人々にとっては、今でも大変重要な部分に位置づけております。

土曜日曜は、法要を営まれる方が多く
ご自宅やお寺でお経を上げられ、その後
当館などで
“お斎(とき)”の宴を催されたりします。

祭壇や仏壇に飾る供物(くもつ)は
故人や仏様に捧げるものなのに
どうして?こちら側を向いているのかと、疑問に思われたことはないでしょうか。

「神」や「仏」に捧げること自体が
即ち、自分に捧げることである、という供養の気持ちの表れで
共に尊び、共に喜ぶことを意味しているようです。

洋服や着物を着るとき、美しい方を外側に向けて着る、身だしなみというのは
自分自身のためばかりでなく、見る人の心を和ませてくれることでもあるように。。。

捧げる花も同じく
対象に対して「安らか」であらんことを望むとともに
眺める私たちを穏やかな気分に誘ってくれるものなのですね。

そんなことを思いながら、普段なかなか座らない仏壇に
今日は手を合わせてみます。

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