収穫の遅い飛騨地区でも、ようやく“新米”が出回ってきました。
当館でもご夕食には『飛騨ひとめぼれ』
ご朝食には『飛騨こしひかり』
を(地物という多少のえこ贔屓はありますが)8種類の中から食味比較して
お出しし始めました。
新米は水分をやや多く含んでいるため
特に朝の釜炊きの際には、(新米への)切替の時期には
その水量調整が難しく
時として少し固めだったり、軟らかめになってしまったり。。。
それでも“新米”という新鮮な味覚に助けられて
何とかお赦しいただける範囲内では収まって??いるのではないかと思っております。
炊きたての新米をいただく瞬間に
「日本人(アジア人)としての喜び」を感じるのは私だけではないと思います。
それにしても“事故米”と云われる一連の事件やその事後処理は
どうにもこうにも腑に落ちません。
私たち一般人には及びもつかないような
国際間の取り決めや国内構造その他諸事情もあるのでしょうが
この処置(処分処理)は
いかなる理由があろうとも
お米という植物(生き物)とそれを自然と共生しながら育まれた生産者を
愚弄するものとしか思えません。
食べ物となって頂いている生物とそれを育む自然と
それを供することを生業とされる方達に敬意を表さない人や団体、国には
“輝かしい未来”などは絵空事でしかないのではないでしょうか。