昨日行われた国の文化審議会にて
当館の建物のうち3棟を“国登録有形文化財”としてお選びいただきました。
現在の地での築年数の古い順からいくと
明治38年再建(前年の古川大火で焼失)の招月楼
ここは典型的な飛騨の商家造で玄関を入ると土間が奥まで一直線に伸びておりました。
(今では使い勝手が悪いので途中で切ってありますが)
そして上を見上げると3階建ての高さ並みの明かり取りの“天窓”。
飛騨では“ガラス”が入ってきたのは明治後期といいますので
このあたりでは“ハシリ”だったのでしょう。
また、時代背景を色濃く反映してか、一般の土間玄関とは別に
“貴人用の畳玄関”とその脇に“従者控えの間”がございます。
次は当館現役倉庫の大きいほうの蔵。
築年は定かではないのですがこれも明治後期、大火後に
“杉下家”というこの辺りの豪商の蔵を譲って頂き移築したものです。
そして最後は、皆様をお迎えする川沿いの玄関を含む広間棟。
昭和9年の高山本線全線開通によって当時の宿泊客(製紙工場の検番さん)が
激減するのを見越して作られた料理部門の建物です。
今どきの大型旅館にお邪魔すれば100畳の広間など狭いぐらいかもしれませんが
往時としては、飛騨一円どこにもなかった規模と“材”だったようです。
文化財としての価値をお認めいただいたことで、公共の財産として
益々維持保全に努めなくてはならないことはいうまでもありませんが
一番大事なことは、そのハード的な文化財の名に恥じないような
ソフト面のおもてなしや室礼、心配りをすることだと改めて思うところです。
昔ながらの温かい日本人の気質を感じられる
“血”が通った人が居るからこそ、文化財の宿と云えるのでしょうから。